昭和生まれから平成生まれへ……出場選手の生年月日の年号が完全に入れ代わって、初のセンバツ。バントを使わない強攻策が最後まで光った常葉菊川の春夏通じての初優勝で閉幕した。強豪校が次々と消えていく中、派手なスター選手はいなくとも、堅い守備とつながりのある打線を持った「まとまったチーム」が強かったようだ。文字通り“平成の新風”が吹き荒れた大会だった。
新風といえば、準優勝の大垣日大が呼び込んだ風も爽やかなインパクトを残した。希望枠で選ばれた大垣日大の快挙により、希望枠の意味が大きく変わった。5年前、「補欠校にも甲子園出場の“希望”を残す」ことを目的として初めて設けられた特別な枠。しかし、以前なら出場すらできなかったチームにも、こうして甲子園の決勝まで勝ち進む力があるのだ------それは、出場できるチームとできないチームとの間を隔てる壁が、いかに薄いかという証明だった。証明したのは大垣日大だけではない。明治神宮枠の室戸や21世紀枠の都城泉ヶ丘が、甲子園常連校を撃破して勝ち進んだ事実からも同じことがいえる。
また、監督の影響力の大きさも再認識させられた。就任わずか2年目の大垣日大を全国準優勝に導いた阪口慶三監督は、名門・東邦の監督時代に春夏合わせて24回甲子園出場を果たし、優勝経験もある“名将”だ。「鬼の阪口から仏の阪口へ」とは何度も耳にしたフレーズだが、師としての顔を180度転換させたのは、率いるチームが強いか弱いか、名門か無名か、という違いだけではないだろう。時代とともに変化していく子供たちの性質を見抜き、適応させる指導力が、見事に選手の持ち味と融合し、新たな歴史を作った。
さて、『新』をキーワードにするなら、新しく採用された低反発ボールのことにも触れなくてはならない。この新規格のボールは、簡単に説明すると、衝撃吸収材でコルク芯を覆って反発力を抑えたものだ。影響はどれほどあったのだろうか。本塁打数は昨年の14本から10本になったが、第75回大会はそれより少ない9本だった。三塁打は22本から19本に、2塁打は86本から81本に減ったが、いずれも驚くほどの減少幅ではない。“飛ばないボール”の効果かどうかは、今少し判断を待つ必要がある。それにしても、10本しか生まれなかった本塁打のうち、2本を連続で放った中田翔(大阪桐蔭)のスイングにはあらためて驚かされた。しかし、大会を通じて見ると、まだ満足の域でないことは明らかだ。
もともとセンバツは夏に比べて打撃力が劣り、本塁打は、昨年の夏60本で春14本。それは極端としても、一昨年も夏32本で春10本という結果だった。試合数の差を差し引いても、はるかに夏のほうが上回る。一因として、夏はどのチームにも地方大会をひとつひとつ勝ち上がってきた勢いがある。実戦での調整がしっかりできている。
そのため「春は投手力」と言われてきたのだが、今大会は1回戦で多くの好投手が涙をのんだ。大会ナンバーワン左腕の呼び声高かった近田怜王を擁する報徳学園、豪速球が持ち味の唐川侑己を擁する成田、そして東北の『ドクターK』こと佐藤由規が引っ張る仙台育英……。いずれも1点を争う接戦。チームの打力不足を言うのは簡単だが、投手のピーキングの問題も無関係ではないかもしれない。大物ほど、最大のピークを夏に持っていきたいものではないかと思われる。
甲子園で春夏連覇を達成したチームは史上わずか5校しかなく、9年前の横浜以来誕生していない。半年ほどの間に2度のピークを作り上げることはそれほど難しいのだ。
春の甲子園を去る球児たちの目に涙は滅多に見られない。代わりに、夏という“希望”が見える。










